Journal

2024/08/21 15:04

お詫びと同列に意識の変化のお話をするのは礼儀に反していると存じますが、思いがけない様々な出来事の連続がありこのような事に至りましたので、同列にお話しさせてください。


現在わたしは、アルツハイマー認知症の父の介護サポートを行っています。
容態としては意思の疎通も取れず、話しかけても言葉が返ってきたり表情が変わることもなく私のことを理解していることも分かりません。また、人間生活としての概念も無くなってしまったため施設入所となっておりますが、父のサポートができるのは私しかおらず、相談相手や変わり手もいない状況で、一人サポートに扮して来ました。
私と父はそもそも両親の離婚後、共に暮らすことも連絡を取り合うなかでもなく音信不通の状態が17年ほどあり、再会してから数年で介護を担うことになっても、何一つ父の身の回りのことを分かってない状態からのスタート。
様々な手続きと父との距離感とに奮闘しつつ、今の今までよくやってきた方だと自分を褒めたい気持ちも少なからずあります。

2年後3年後、、いつか介護が楽になって急な呼び出しにも慣れて、自分の時間が持てるようになれば思いっきり仕事も遊びも楽しめる!そう思って色んなやりたい事や自分の事情を打ち消して来ました。
しかし、正しく物事を捉えると認知症は回復することはなく、どんどん悪化するだけ。
現在は要介護4となり、昨年には大腿骨骨折に人工関節の手術をすると車椅子生活になり、歩けなくなったり、それに伴う更なる手続きやサポートに今年の春まで奮闘していました。年末に「そろそろ社会復帰したい」という気持ちが高まり、現在色々手を出していた活動を縮小しつつ、時間と折り合いをつけながら行って来ました。
春になると今度は母の癌が見つかり、3月から父に加え母の闘病サポート。自分が老いるということは、親も老いるということ。歳を重ねたら楽になると思っていた生活も、重ねた分また下り坂が生じるということも学び、実質「自分の時間が一番持てたのは、経験を積んで楽になった30代」だったように感じます。


できる範囲で、やりたいことをと掲げていても、突発的に周りに時間が奪われる事が増え「スケジュール通り」に行かないもどかしさをただただ実感。その中で、皆様に対しても多大な迷惑をかけることとなり、申し訳なく感じる反面。どう処理をして良いかも分からない状態が続きました。
時間が有意義にあると思って作っていたスケジュールも、気がつけばグダグダとなり手放す事ができないものだけを奮起して熟す。そんな日が続きながら、どう処理して良いか分からない親たちの出来事を深く考えないように、でも時折深く考えてしまっては消えてなくなりたい衝動に駆られていました。


➖ 意識の変化

いつかどこかで楽になるはず。しかし、ちゃんと考えたら「時は流れ、老いは進む」。
私がサポートしていたのは小さい子供の育児ではなく、老いから介護が必要になり更に歳を重ねるごとに状態を悪化させている親でした。
2年後にはきっと楽になる。そう思った意識の中には「介護に慣れていくだろう」という浅はかな考えがあったんですが、悪化する父の状況では、毎回対応を変えサポートを変え、慣れるようなことは一つもないことにやっと気づけました。私が楽になる、私だけの時間ができる時は、父が亡くなった時だけなんだとハッとしたんです。

今まで一人暮らしも長く、自分の好きな事業を自分の都合で誰にも邪魔されずに行えて来た日々は、実際にはあり得ないほどの有意義な時で、今から先の人生に同じ事が降りかかる事がないと知った時、待っている体制を変えなければと思いました。
父や母のサポートに時間をかけてはいても、私には子供の頃からやりたい事があります。
絶対に叶うことのない夢物語のような話ですが、様々な辛い経験から救ってくれたのは精神科や心療内科の医師やカウンセラーではなく、私に明確な心の在り方を指導してくれた仏陀でした。
そんな仏陀の教えの通りに生きて、そして私は万人を救える人でありたい。
より明確な目標を持つならば、現代的な言葉では「ゲートキーパー」という存在になりたいとずっと思っていました。

何度か口に出したり文章に書いたこともあるので、ご存知の方もいるかも知れません。
ゲートキーパーとは、自殺の危機を示すサインに気付き適切な対応を図る事ができる人のことで、厚生労働省でのその資格を持つための勉強会などが開催されています。
わたしの人生は、山と谷が連続してあるような苦労の絶えない人生で、その出来事を気軽に口にすると「自分の悩み事なんて小さかった、私頑張れる」なんて、周りに声をかけて貰えるほどです。ここで苦労自慢をすることはしませんが、そんな苦労時代の中で若い友人・知人たちが、自殺をはかり亡くなってしまったという経験をいくつも持っています。
私自身は、様々な活動に手を出すタイプなので、そうした友人同士たちが仲が良かったことはないのですが、自分が手がいっぱいだったからと言って、どうして私は彼らの言葉や行動に気がつき、支えることや手を差し伸べることが出来なかったのだと後悔の念でいっぱいです。
そうした経験で病んでしまうこともありましたが「そうした経験を毒に変えない、意味のあるものにする為に自分は生きるのだ」と言い聞かせて現在に至ります。そうした中で「絶対に次はそうはさせない」という思いと「悩んでいる人を少しでも減らしたい」という気持ちが、以前のセッションやフラワーエッセンスを用いた心の安定を作る活動の軸となっていました。


そして、現在。
いつかどこかで時間が空いたら、、、

そんな風に待っていては誰一人を救うこともできないし、救えるとも勘違いしていないけれど、意味のある生き方が全然できていないと気づけました。私はいつの間にか「やりたい事」よりも『やれる事や世間』に寄せていて、本当にやりたいゲートキーパーになる夢や人・生き物・環境と心を通わせ、共生の道を進むことから脱線していました。
それに気づいたのは7月に入った頃で、春先から予定に組んでいたことと母の入院手術、父のコロナ感染と悪化。早く着手したかったことも、ご存知の通り皆様に迷惑をかけるだけで出来ずこの日を迎えてしまいました。
これからも「父のサポート」は続くのですが、私のやりたいことは明確となり『ゲートキーパーになる』ための道を進みたいと考え、今まで予定していた「動画配信の編集」にも時間が取られてしまうので、インスタグラムを利用したりより気軽に「不安の種」を投げて貰えるようなより近しく、そして一緒に心を育て、人・生き物・環境と心を通わせながら、共に支援していけるコミュニティーを発足しなおしたいと考えています。

忙しくなったり、アルツハイマー認知症という突拍子もない行動を起こす父に、振り回されて時折り心が病むかも知れませんが、わたしは仏陀の教えを使って、サッ処分ゼロを目指した動物保護支援。そして、自殺に追い込むようなことのない、人の不安を減らすための活動と寄付を今からの活動を使って、やっていきたいと考えております。

多大なご迷惑をかけ、信用を失ってしまった状態のわたしですが、これから先より精進して参ります。


2024年8月21日 瀬尾 一世



Let's keep in touch with me

Sing up with your email address to receive updates!

Copyright © 猫とわたしの暮らし. All Rights Reserved.